はじめまして

 

ただいま終活中

 

 

 

管理人のhachapaです。

 

私は50代後半のパパで、

変わり者を自負しています。

 

2017年6月に急性心筋梗塞で

緊急手術をしました。

 

その時、人生に悔いはない

思えたのは良かったですよ。

 

ただ何も死ぬ準備をしていなかったので、

残された家族は大変だろうと思いました。

 

手術は成功して生還しましたが、

家族のため自分自身のために、

終活を決意しました。

 

 

終活とは一般的に以下のような内容らしいです。

 

1.人生の終わりをより良く締めくくるための準備

2.より良く自分らしく生きていくための活動

3.大切な家族のために、そして自分のために

『ありがとう』を伝える活動

 

 

私なりの解釈では、

心置きなく死を迎える準備です。

 

お風呂に入って、着替えて、歯を磨いて

明日の(来世)準備をして、

寝る(死ぬ)感じです。

 

エンディングノートも書こうかな。

遺言とは違った自由な方法で、

大事なことを書き残しますよ。

 

このブログを立ち上げたのは、

エンディングノートとしての

意味もあります。

 

この際、地獄へ行きたくありませんから、

ブログには何事も正直に書き残します。

 

私の人生経験を通しての知識や知恵を、

できるだけ面白く記事にしていきます。

 

はーちゃんの成長記録がテーマですが、

子育てのヒントや、

人とちがう生き方もあるという

提案をしていきたいと思います。

 

 

 

ここからは終活以前の自己紹介です。

そのため後回しになっています。

 

これから随時更新していきますので、

時間があるときお立ち寄りください。

 

 

 

hachapaの生い立ち

 

はーちゃん(一人息子)のパパで、

hachapaと自称しています。

 

 

私が生まれたのは貧しい家でした。

汚い鳥小屋のような長屋に

住んでいたそうです。

 

 

雨が降ると家中雨漏りして、

大騒ぎしたのは覚えています。

(でも楽しかったかも)

 

よく停電したので、照明は

ほとんどロウソクでした。

 

 

お米を炊く薪がなくなると、

そこらへんの壁をはがして

薪にしたそうですよ。

 

母は栄養不足のため、母乳が

あまり出なかったそうです。

 

当時は、もらい乳というのがあり、

近所の人に助けられて育ちました。

 

離乳食は納豆ご飯だったそうです。

今も大すきで毎朝食べていますよ。

 

お米がなくて食べられない日は、

母はお腹がいっぱいだと言って

食べませんでした。

 

その分、少しでも姉と私には

食べさせてくれました。

 

全く食べるものがなくなると

親戚の家をまわって、

食事にありつく日々でした。

 

 

私の幼少期の記憶には、

なぜか父は存在していません。

 

切れ切れの記憶では、

優しかったり、不機嫌だったりで

なぜか、怖いと思っていました。

 

貴重だった白黒の写真も、

何枚かは撮影してくれました。

今でも持っていますよ。

 

 

家ではいつもお酒を飲んでいました。

お酒がないと一升瓶をもたされ、

酒屋まで付けで買いに行かされました。

 

付けができなくなると、

家中の物を質屋に持って行きました。

 

たしか白黒テレビはあったけど、

あまり見た記憶がありません。

 

いつも質屋にあったからです。

時々テレビが戻ってくると

やはりうれしかった。

 

父の仕事は不安定でも、

たまにお金が入ると贅沢をしました。

 

お金遣いが荒かったのが、

なぜか恐怖感として

記憶されました。

 

さらに酒乱だったので、

いつも暴れました。

 

いなくなってほしいと、

切に願いました。

 

夜、安心して寝ることが

できませんでしたから。

 

父が帰宅して、暴れて物を壊し

酔いつぶれて寝るまで、

息をひそめる生活が続きました。

 

 

一日でも早く、自立して

こんな家を出ていきたい。

 

中学を出て、夜学に行くように

なって約1年後、家を出ました。

 

6畳一間、共同トイレ、風呂なしの

アパートでしたが幸せでした。

 

その後は、実家を省みることなく、

自分だけは楽しく暮らせるように

なりました。

 

 

今日はこのくらいで。

 

思い出すのも、

けっこうつらいものです。

続きを見る⇒