ようこそいらっしゃいました。

 

心の傷

 

 

 

このような所まで、来ていただき

ありがとうございます。

 

ここまできたら私の心の傷を、

包み隠すことなく綴っていきます。

(ずいぶん悩みましたが)

 

 

このページを書く理由

 

私は、私自身の詳しいプロフィールを

書くことで、母に懺悔し、父を許したいと

考えたからなのです。

 

そして、それこそが私の、

偽りのない自己紹介になると

思ったからです。

 

 

 

もともと文章を書くのは苦手で、

話も前後したりしてしまいます。

 

至らない点は、どうかご了承いただき

ますようお願いいたします。

 

 

では、思い出すままに書いていきます。

 

 

 

プロフィールその2

 

私の家族は父と母、姉と弟の5人でした。

20年以上前に両親とも亡くなりました。

 

昭和ひとけた生まれの父と母は、

戦争の犠牲者です。

 

小さな子供時代から青少年・少女になるまで、

異常な社会で過ごしました。

 

母はお嬢さん育ちで、高等教育も

受けたそうです。

 

父は長男で大事に育てられたと思いますが、

戦時中の洗脳教育を受けました。

 

頭は良かったようですが、

洗脳にはかないません。

 

特攻隊になって死ぬための訓練を、

茨城県の霞ヶ浦で受けていたそうです。

 

父が出撃する直前に日本が負けて、

戦争が終わりました。

 

生き残ってしまった父は、

世の中の激変に、ショックを

受けたに違いありません。

 

全ての大人が大嘘つきに

映ったことでしょう。

 

ラジオも新聞も、学校の教師も

うそっぱちを教えていたからです。

 

昨日まで天皇は神様だと言っていた人たちが、

とつぜん民主主義を唱え始めたのです。

 

世の中の価値観が、ガラリと変わりました。

誰も嘘つきの責任を取っていません。

 

真面目な人たち程、苦しんだに違いありません。

ある意味では、弱い人たちだったかも。

 

その一人が、父だったと

思うより仕方がありません。

 

なぜなら、物心ついた時から

虐待を受け続けたからです。

 

私が暴力を受けた記憶は少ないですが、

母はいつも殴られていました。

 

姉も弟も、叩かれたり蹴られたり

していました。

 

私が小学校へ上がる前後のことです。

弟はまだ1才か2才だったはずですが、

父が突然うるさいと怒鳴りだして

やかんのお湯を、弟の頭へかけました。

 

弟は飛び上がって泣き叫びました。

父はそのまま、お湯をかけ続けました。

 

私は何が起きたか理解できませんでした。

ただ、ただ、恐怖で動くことも

出来なかったのです。

 

その後の記憶は、ありません。

 

弟は死ぬことはありませんでしたが、

その後精神薄弱者となりました。

 

兄弟の中で、一番かわいい顔をした

利発そうな弟でした。

 

原因は、ある夜高熱をだして

医者にかかったものの、

脳に障害が残ったからだそうです。

 

お湯をかけた件と関係があったかは、

私にはわかりません。

 

ただ、賢くて正常だった弟が

ある日からひきつけを起こして、

倒れるようになりました。

 

顔面から倒れることも、

頭を打つこともありました。

 

それ以来、てんかん発作を抑える薬を、

現在にいたるまで、のみ続けています。

 

 

 

すこし胸が苦しくなってきたので、

今日はここまでにします。

 

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