ようこそいらっしゃいました。

 

これは前回の続きです

 

 

 

私達家族は山形のいなかに

住んでいました。

 

父は冬になると出稼ぎで

いなくなりました。

 

冬の間は安心して過ごせました。

雪も多く、いっぱい遊びましたよ。

 

姉弟

 

弟が小学校に進級するときに、

通う施設がなかったためか

家族で千葉に引っ越しました。

 

最初の頃は千葉の施設に

通っていたけれど、

そのうちに、神奈川の施設へ

たった一人で入所しました。

 

弟はまだ、1年生でした。

年に数回、帰省しました。

 

施設に送って帰るときに、

弟が泣き叫んでいたことは

忘れようがありません。

 

でも、当時としては、

たぶん最も進んでいたと

思われる施設でした。

 

私は、弟が家にいるよりは

施設の方が安全だと思いました。

 

ご飯は3食出るし、

夜も寝ることができたと

思ったからです。

 

兄弟で、どちらが良かったかなど、

比べることはできません。

 

姉は引きこもり、不登校になりました。

中学に着ていく服が無かったからかな。

 

いずれにしろ、ノイローゼだったと思います。

 

 

母と父

 

母はいつでも何があっても

にこにこしていました。

 

私には希望を持たせてくれました。

母さえ元気でいてくれれば

安心していられました。

 

でも本当は身も心もボロボロ

だったのでしょう。

 

セデスという鎮痛剤を使っていました。

気がつくと、大量に飲んで

フラフラしていました。

 

あるとき母は、踏切自殺を図りました。

 

母の様子がおかしかったので、

後を追いかけて私が止めました。

 

心底がっかりして泣きました。

強いと思っていた母も、弱かったからです。

 

大地が崩れたような気持ちでした。

 

何度も薬を止めるよう言いましたが、

母はやめることは出来ませんでした。

 

薬で一時的にせよ現世の苦しみから

逃れることができたのでしょう。

 

父は元気で、酒を飲んでは毎晩のように

家の中で破壊活動をしていました。

 

借家だったので、最初の頃は

大家さんが止めに入ってくれました。

 

そのうち、身の危険を感じたのか

警察くらいしか来なくなりました。

 

もちろん、警察は何もしてくれません。

かえって父の怒りが増すだけでした。

 

昼間の父は自営業をしていました。

自営と言っても一人社長です。

 

塗装の下請けが中心で、

親会社のピンハネに不満を抱いていました。

でも、人当たりはよく信頼もあったようです。

 

昼間の父と夜の父は、

別の生き物だったのでしょうか。

 

父が狂うのは酒のせいだと思いました。

母が変になるのは薬のせいだと思いました。

 

 

あるとき母に、父と離婚してほしいと

言ったことがありました。

 

でも、母一人では3人の子供を

育てられなかったのでしょう。

 

あるいは、子供にはわからない

理由があったのかもしれません。

 

結局は別れませんでした。

 

 

私は、

父をいつか殺したいと思っていました。

 

 

 

また、近日中に更新します。

 

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