ようこそいらっしゃいました。

 

全ては無知からはじまった

 

 

 

結局、私は父を殺しませんでした。

そのかわり、母を殺してしまいました。

 

直接手を下したわけではありません。

もっとひどいことをしてしまいました。

 

悔やんでも、悔やみきれない。

今も血が滴る、心の傷になっています。

 

 

 

アダルトチルドレン

 

[ 機能不全家庭で育ったことにより、

成人しても心にトラウマを抱えている人 ]

 

 

今こうして自分自身を振り返ってみると、

私はアダルトチルドレンそのものでした。

 

 

私は小さなころから、母を見習って

いつもニコニコと笑っていました。

 

あなたを見ていると、

いつも幸せそうだ。

そんな風にみられていました。

 

でも見た目は汚いし、

いつも同じ服を着ていました。

 

お風呂は週に1~2回だったから、

けっこう臭かったと思います。

 

それでも、仲のよい友達はできました。

日が暮れるまで遊んでいましたよ。

 

学校には給食を食べるために行きました。

栄養のほとんどを給食で賄うのだから。

 

勉強は面白い時もあれば、

つまらない時もありました。

 

家で宿題なんかできませんから、

毎度やりませんでした。

 

いつも、廊下に立たされましたよ。

成績は最低の方で、

きっとバカだと思われていたでしょう。

 

でも、自分では頭が良いと

信じていました。

 

さまざまな事情で、子供なりに

学校に行きなくないときは、

図書館へ行ってサボリましたね。

 

読書は好きで、

長編小説も読破していました。

 

 

中学2年の中間テストで、

理科が満点でした。

 

担任にカンニングを

疑われたのがショックでした。

 

先生というものを、

信用しなくなりました。

 

頭にきたので、

ちょっと本気で勉強しました。

もちろん、学校にいる時間だけです。

 

期末テストの結果はまあまでした。

先生が謝ることはありませんでしたが、

カンニングの必要はないと証明しました。

 

 

その後も学校だけの勉強で、

全ての教科で80点位は

取るようになりました。

 

 

経済的な理由から定時制の

県立高校へ進学しましたが、

首席で入りましたよ。

 

 

高校でも親友と呼び合う仲間ができ、

さまざまな相談にも乗りました。

 

友達が苦しんでいる内容を聞くと、

あまりにも幸せな話しで驚きました。

 

私の経験を少し話すと、

友人たちは自分が恵まれていたことに

気がついて、前へ進むことができました。

 

私の悲惨な体験も少しは役に立つんだと、

けっこう嬉しかったものです。

 

だから、自分に重大な欠陥があるとは

夢にも思わなかったのです。

 

 

自立してから

 

私は生き地獄のような家を出て、

幸せな一人暮らしを楽しんでいました。

 

家には、弟が帰省した時など、

一瞬だけ顔を出す程度でした。

 

遅ればせながら青春も謳歌しました。

昼はバイトで稼ぎ、夜学に通いました。

 

お金は毎月ギリギリの生活でしたが、

学校生活は充実していました。

 

高校を何とか4年で卒業した半年後に、

今度は通信制の大学に進みました。

 

仕事も正社員として働くようになり、

収入も安定して少しばかり余裕もできました。

 

 

そこで、まだ地獄に残っていた姉をそこから

連れ出して、一緒に暮らすことにしました。

 

少しだけ自立の手伝いはするけど、

一刻も早く出ていくように言いました。

 

私は一人で生き延びてきました。

その自負心から、

家族には厳しかったのです。

 

姉がいつまでも仕事をせずに

居候しているのが、

たまらなく嫌でした。

 

ひどい言葉で罵倒しました。

 

なぜこんなに、攻め続けるのか分かりません。

自分でもコントロールできなかったのです。

 

姉の全人格まで否定するようなことを、

理路整然と怒りながら言いました。

 

運よく、姉は東京に住み込みの仕事を

見つけて出ていきました。

 

このようにして姉も、地獄のような

所から逃れることができました。

 

 

私は自己満足し、また一人に戻って

落ち着いたころのことです。

 

たまたま母を誘って

居酒屋で食事をしました。

 

母はとても喜んでくれましたが、

途中ですこし具合が悪くなったので、

医者に連れて行きました。

 

そこで医者が言ったことに、

ショックを受けました。

 

「お母さんは栄養失調です」

 

「急にいろいろ食べたことで

具合が悪くなったのでしょう」

 

その様な内容だったと思います。

 

忘れていた怒りが私を支配しました。

そのまま、母を自宅へ連れ帰りました。

 

「俺が母の面倒をみる」と決めたのです。

 

あのくそ親父に母が殺されてしまうと、

思ったからでした。

 

今思えば、世間知らずの大馬鹿野郎は

私だったのに。

医者の言葉を真に受けてしまったのでした。

 

もともと、食は細かったし、

年もとってきたので、栄養が不足しても

それほど不思議はありません。

 

しかし、栄養失調がそのまま死に

つながると思い込んでしまったのです。

 

 

今日は、ここまでで失礼します。

 

 

⇐ひとつ前の記事に戻る        続きを見る⇒